日本緘黙研究会【 第1回研究大会】報告
― 実践知の集積と、日本における支援の現在地 ―
目次
はじめに:実践と研究が交差した2日間

2026年、日本かんもく研究会 第1回研究大会が開催されました。
本大会のテーマは「英知を結集して」。この言葉の通り、臨床・教育・研究、それぞれの立場から場面緘黙に向き合う専門家が集い、知見を共有する貴重な機会となりました。
私自身にとっても、本大会は大きな意味を持つ場となりました。
それは、これまでの支援実践をもとにした「初めての口頭発表(実践研究)」に挑戦したからです。
初めての実践研究発表を終えて
今回、私はオンラインでの保護者支援における段階的プロセスに着目し、4名からなる1グループの事例を対象に検討を行いました。

支援の中で見られた変化を丁寧に追いながら、「どのような関わりが、どのタイミングで、どのような変化につながったのか」
を構造的に整理することを試みました。
その結果、多くの参加者の方々から関心を寄せていただき、一定の評価を得ることができました。
一方で、発表時間の制約により、質疑応答の時間が十分に取れなかった点は今後の課題です。
研究は他者との対話によって深化する側面を持つため、今回得られた示唆をもとに、さらに検討を深めていきたいと考えています。
学会全体の特徴:応用行動分析を基盤とした支援

本大会の発表に共通していたのは、多くの実践が**応用行動分析(ABA)**を基盤として構築されている点です。
具体的には、
- スモールステップによる行動形成
- 不安の段階に応じた段階的介入
- 強化による行動の維持と般化
- 環境調整による成功体験の積み重ね
といった支援の枠組みが、多くの発表に共通して見られました。
また印象的だったのは、「いかに楽しく取り組めるか」という視点です。
単なる技法としての介入ではなく、子どもが主体的に関われる形で支援が設計されている点に、実践の質の高さを感じました。
専門家の知見に触れて

基調講演およびトークセッションも非常に示唆に富む内容でした。
特に印象的だったのは、奥田健二先生による事例へのフィードバックです。
鋭い視点で本質を突きながらも、支援の方向性を明確にする助言が随所に見られ、理論と実践が高度に統合された思考に触れることができました。
このような場で直接学べたことは、臨床家として非常に大きな学びとなりました。
日本における場面緘黙支援の課題
本大会を通して、日本における支援の課題もより明確になりました。
1.専門職における知識と認識のギャップ
場面緘黙は非常に個別性が高く、状況依存的に現れる特徴を持ちます。
例えば、
- 家ではよく話すが、学校では全く話せない
- 特定の相手とは話せるが、集団になると話せない
- 声は出ないが、ジェスチャーや筆談はできる
といったように、「話せる/話せない」が一様ではありません。
そのため、過去に典型的なケース(全く話さない子ども)を見てきた専門家ほど、
「この子は話せる場面があるから場面緘黙ではない」と判断してしまうことがあります。
つまり、場面緘黙は
**“話せない状態”ではなく、“不安による行動の抑制が状況によって変動する状態”**であるにもかかわらず、
その理解が十分に共有されていないことが、見逃しや誤解を生みやすくしているのです。
2.「様子見」という対応の長期化
現在もなお、「様子を見ましょう」という対応が多く見られます。
しかし、場面緘黙は不安症の一つであり、適切な介入がないまま時間が経過すると、
- 回避行動の固定化
- 自信の低下
- 不登校や対人不安の併発
といった二次的な問題につながる可能性があります。
「待つこと」と「何もしないこと」は異なります。
本来必要なのは、不安を下げながら段階的に行動を広げていく支援です。
3.家庭・学校・医療の連携不足
日本における場面緘黙支援の大きな課題の一つは、家庭・学校・医療(あるいは心理支援)が、それぞれ別々に動いてしまいやすいことです。場面緘黙の子どもは、家ではよく話すのに、園や学校では話せないことが少なくありません。
そのため、家庭では「こんなに話せるのに、なぜ外では話せないのだろう」と戸惑い、学校では「授業中は話さないけれど、表情はあるし困っていないようにも見える」と受け取られ、医療につながっても「家で話せているなら、しばらく様子を見ましょう」と言われることがあります。
つまり、同じ子どもを見ていても、家庭・学校・医療で見えている姿が違うのです。
この“見えている情報のズレ”があるため、支援方針もそろいにくくなります。保護者は「家ではこんなに困っている」と感じていても、学校は「静かな子」と受け止め、医療は「経過観察」と判断する。すると、誰も何もしていないわけではないのに、結果として子どもにとって十分な支援が組まれない、ということが起こります。
今の現状:それぞれが善意で関わっているのに、つながっていない
実際には、多くの保護者が次のような流れを経験します。
まず家庭で、「外では全く話せない」「先生に聞かれても固まってしまう」「トイレやお願いごとすら言えない」といった様子に気づきます。けれども、周囲からは「そのうち慣れる」「家で話せるなら大丈夫」「無理に話させないで」と言われ、相談のタイミングを逃しやすいのです。
ようやく学校や園に相談しても、担任の先生が場面緘黙に詳しくない場合には、「見守り」で終わってしまうことがあります。もちろん見守り自体が悪いわけではありません。しかし、場面緘黙では、ただ待つだけでは不安と回避が固定化しやすいため、適切な段階づけや環境調整が伴わない“様子見”は、改善を遅らせることがあります。NHSも、場面緘黙は不安症であり、放置すると長引くことがあると説明しています。
さらに医療や心理支援につながったとしても、そこから学校へ具体的な支援提案が十分に返っていかないことがあります。たとえば、受診先で「安心させてください」「無理に話させないでください」と言われても、学校現場では「では実際に授業中はどう配慮するのか」「どんな順番で発話のハードルを下げるのか」まで落とし込まれないまま、時間が過ぎていくことがあります。
その結果、保護者だけが必死に情報を集め、学校に説明し、必要があれば医療にも伝え、連携の“つなぎ役”を一人で担うことになりやすいのです。
これは、保護者にとって非常に大きな負担です。
ただでさえ子どものことで不安が強い中で、「学校にどう伝えたらいいか分からない」「先生に理解してもらえない」「病院で言われたことをどう現場に落とし込めばいいのか分からない」という二重三重の困難を抱えることになります。
日本における大きな課題の一つが、家庭・学校・医療が分断されやすい点です。
望ましい状態とは:子どもを真ん中にして、大人が同じ方向を向くこと
本来望ましいのは、家庭・学校・医療がそれぞれの立場でバラバラに関わるのではなく、子どもを真ん中にして、同じ見立てと同じ目標を共有することです。
たとえば家庭では、「家での安心感を保ちながら、小さな挑戦を支える」。
学校では、「話す・話さないの二択ではなく、非言語反応、ささやき、一対一でのやりとりなど、段階的な目標を設定する」。
医療や心理支援では、「不安の理解、支援の優先順位、具体的な進め方を整理し、家庭と学校に共有する」。
このように役割分担が明確になると、子どもは混乱しにくくなり、成功体験を積み重ねやすくなります。
特に大切なのは、どの大人も同じ対応原則で関わることです。
たとえば、学校では「答えられなくても待つ」一方で、家庭では毎日「今日は言えたの?なんで言えないの?」と詰めてしまう。あるいは医療では「少しずつ段階づけて」と言われているのに、学校ではいきなりみんなの前で自己紹介を求めてしまう。このように大人の対応が食い違うと、子どもはより不安になりやすくなります。
逆に、家庭・学校・支援者が「今はまず、この先生に会釈できることを目標にしよう」「次は一対一で小さな声を出すところを目指そう」と共有できていれば、子どもにとっては見通しが持ちやすくなります。支援は“頑張って話させる”ものではなく、不安を下げながら、できる行動を少しずつ広げていく共同作業になるのです。
■海外の例
海外では、保護者と学校が最初から一緒に支援計画を立てる仕組みが整っている地域もあります。
支援は個別の努力ではなく、チームで行うものとして設計されている点が特徴です。
たとえば英国の一部NHS系サービスでは、保護者と学校職員が一緒に説明会や研修を受け、同じ理解を持った上で計画を立てることが推奨されています。Buckinghamshire Healthcare NHS Trustの資料でも、学校スタッフと保護者ができるだけ一緒にウェビナーを見て、共通の計画を立てるよう勧められています。さらに、質問票を共有し、その後に言語聴覚士へ相談・紹介する流れが案内されています。
Kent Community Health NHS Foundation Trustでも、場面緘黙支援は子ども本人だけに直接介入するというより、親・教育スタッフ・関係専門職への助言と合同の計画会議を重視していると明記されています。親と学校スタッフこそが、子どもの「話せる範囲」を広げるうえで最も重要な立場にいる、という考え方です。
また、英国内の別のNHSサービスでは、言語聴覚士が子どもの周囲の大人をガイドし、みんなが同じ一貫した助言に基づいて関わることが、子どもの混乱を防ぐと説明しています。
アメリカでも、Selective Mutism Associationの保護者向けツールキットでは、エビデンスに基づく支援として行動療法・認知行動療法が示され、それらは臨床心理士だけでなく、学校心理士や学校ソーシャルワーカーなど学校側の専門職とも連携しながら進められるとされています。AACAPもまた、子どもの不安症では学校へのコンサルテーションと保護者の関与が重要だとしています。
つまり海外の例では、家庭・学校・専門職の連携は“できれば望ましいこと”ではなく、支援の基本設計そのものとして扱われています。
4.評価指標の統一と標準化の遅れ
日本では、評価指標が統一されていないという課題があります。
保護者評価による発話のしやすさを測る指標と、行動観察による指標など、測定対象が異なるため、研究ごとに使用される尺度が分かれています。
また、場面緘黙そのものの多様性もあり、単一の指標では十分に捉えきれないという難しさがあります。つまりこれは未整理な状態であり、裏を返せば、今まさに発展途上の領域である証拠とも言えます。
5.保護者支援の体系化の遅れ
場面緘黙の改善において、保護者の関わりは極めて重要な要素です。しかし、日本においては、その保護者支援が体系的に提供されているとは言い難い現状があります。
多くの場合、保護者は子どもの様子に気づいても、
- 「そのうち話せるようになるのではないか」と様子を見る
- 学校や園に相談しても「無理に話させなくていい」と言われる
- 医療機関を受診しても具体的な関わり方までは示されない
といった状況の中で、**「どう関わればいいのか分からないまま時間が過ぎていく」**ことが少なくありません。
実際、保護者の方からはよく、
- 「話させようとしていいのか、待った方がいいのか分からない」
- 「無理に声をかけるとプレッシャーになる気がして怖い」
- 「このままで本当に大丈夫なのか不安」
- 「家では話すのに、外では全く話さない理由が分からない」
といった声が聞かれます。
また、良かれと思って行っている関わりが、結果として回避を強めてしまうケースもあります。
例えば、
- 子どもが困らないように先回りして代わりに答えてしまう
- 話さなくても困らない環境を整えすぎてしまう
- 「この子は話せない子だから」と周囲に説明し、話さない状態を固定化してしまう
こうした対応は、保護者の優しさや配慮から生まれているものですが、
結果として「話さなくても大丈夫」という学習を強めてしまう可能性があります。
一方で、「頑張って話して」と強く促したり、人前で発話を求めたりする関わりは、
不安をさらに高め、逆に発話を難しくしてしまうこともあります。
このように、場面緘黙における保護者の関わりは、
- 促しすぎても難しくなる
- 配慮しすぎても変化が起きにくくなる
という非常に繊細なバランスの上に成り立っています。
しかし現状では、このバランスをどのように取ればよいのかを、
体系的に学ぶ機会が十分に提供されていません。
その結果、
- 保護者ごとの対応のばらつき
- 試行錯誤による長期化
- 不安や自己責任感の増大
といった問題が生じやすくなっています。
本来、場面緘黙の支援においては、
保護者が「日常の中でできる関わり」を理解し、実践できるようになることが、改善の鍵となります。
例えば、
- 話すことそのものではなく「行動の一歩」を評価する
- 小さな成功体験を積み重ねる関わり方を知る
- 不安の段階に応じて課題を調整する
- 子どもの「できた」に焦点を当てる関わりに変える
といった視点は、専門的な理論に基づきながらも、日常の中で実践可能なものです。
こうした関わり方を保護者が理解し、一貫して実践できるようになることで、
子どもの行動には少しずつ変化が現れてきます。
だからこそ今後は、単発のアドバイスではなく、
体系的に学び、継続的に支えられる保護者支援の仕組みを整えていくことが求められます。
今後への展望:実践から広がる支援のかたち
初めての実践研究発表を通して、
「個別の支援経験を、社会に還元可能な知として整理すること」の重要性を実感しました。
今後は複数グループの比較検討を進め、より汎用性のある支援モデルへと発展させていきたいと考えています。
また、今回強く感じたのは、支援を必要としているのは保護者だけではないという点です。
現場の先生や医療職、心理職の中にも、「どう関わればよいのか分からない」という戸惑いがあります。
そのため今後は、
支援者を支えるためのコンサルテーションや教育的支援
にも取り組み、支援できる人を増やしていきたいと考えています。
おわりに
日本における場面緘黙の支援は、まだ発展途上の領域です。
だからこそ、一つひとつの実践と研究の積み重ねが、未来の支援を形づくっていきます。
今回の学びと課題を踏まえ、今後も臨床と研究の両面から、よりよい支援の在り方を探求していきたいと思います。
